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連続税務小説 ヤマゲン 第56話 「源太郎の原点」

2026/02/24
連続税務小説 ヤマゲン 第56話 「源太郎の原点」

 借入の話をした夜。

 

 源太郎は、工場の外に立っていた。

 

 夏の匂いが、ふと、胸の奥を揺らす。

 

 中学二年。

 

 一学期の終業式の前夜だった。

 

「げんちゃん、キャッチボール、しよや」

 

 クラスメイトの加山雄一は、

 

 いつもの調子で源太郎の家に誘いに来た。

 

 明日は終業式。

 

 通知表をもらって、

 

 そのまま夏休み。

 

 浮き立つような夜だった。

 

 近所の空き地。

 

 隣の町工場の明かりが、こうこうと漏れている。

 

 二人は、よくそこでボールを投げ合った。

 

 その夜も、いつも通りのはずだった。

 

 ぱん、とミットが鳴る。

 

 雄一の球は、少しだけ強かった。

 

「なあ、げんちゃん」

 

 雄一は、ボールを握ったまま言った。

 

「オヤジ、会社つぶれた」

 

 源太郎は、一瞬、聞き取れなかった。


「え、なんて」

 

「ゆうちゃん、もっぺん、いうて」

 

「倒産や」

 

 ボールが、地面に落ちた。

 

「オヤジの会社、借金、めっちゃあるらしい」


「どうにもならん、らしい」

 

「そやから」

 

「親、離婚するねん」

 

「おれは、お袋の実家、九州に行く」

 

 虫の音だけが、聞こえる。


「ほんまか……」

「うん……」

 

「明日で、学校、最後や」

 

「げんちゃんには」


「ちゃんと言っときたかったから」 

「だって」

「げんちゃん、親友やもん」

 源太郎は、言葉に詰まる。

「げんちゃん、覚えといてくれるか?」

「ん?」

「おれのこと……忘れんといてくれるか?」

「も、もちろんや」

「ゆうちゃんは、おれにとっても、親友や」

「げんちゃん、ありがとうな」

「な、なんや、えらい、辛気臭いやん」

「九州くらい、またいつでも会えるやん」

 なぜか軽率な言葉を発したことを、

 源太郎は後悔した。

 大阪と九州。

 その距離感は、容易ではなかった。


「げんちゃん……おれ、行きとうない」

「そやけど……」

「どうしようもできへん」

「お袋、ボロボロや」

「せめて、おれが着いといてやらんと」

「オヤジさんは、どうなるん?」

「よう分からん」

「お袋も、その話、あまりしたがらへん」

 

「そうか……」


「でもな、いつか、おれ」

「ん?」

「大きい会社の社長になって」

「オヤジとお袋、ラクさせたるねん」

 源太郎は、はっとした。

 この極限の状態で、

 雄一の大人を、そこに見たからだ。

「げんちゃん」

「なに?」

「なんやしらんけど……」

「ちょっと泣けてきたわ……」

「涙が、止まれへん……」

 途端、源太郎もむせび泣いた。

 どうしようもないこと。

 中学2年生の二人には、

 なにもできないこと。

 大人の事情。

 社会のルール。

 頭の中が、ぐちゃぐちゃになって、

 ただ、そこに、

 ぐちゃぐちゃな泣き顔をした少年が二人、

 工場から漏れる明かりに照らされて、

 立ち尽くしているだけであった。




 翌朝。

 

 終業式。

 

 みんな、浮かれていた。

 

「海行くんやろ?」

 

「ゲーム貸してや」

 

 蝉の声が、校庭から響く。

 

 体育館で、校長の話。

 

 そのあと、教室に戻る。

 

 担任が、少し声を落とした。

 

「加山くんは、お家の事情で転校することになりました」

 

 ざわめき。

 

 さっきまでの笑い声が、少しだけ止まる。

 

 雄一が立ち上がる。

 

「みんな、これまでありがとう」

 

「さようなら」

 

 それだけだった。

 

 拍手も、まばらだった。

 

 夏休み前のざわめきの中に、

 

 その言葉は、静かに沈んだ。

 

 帰り道。

 

「加山、おまえんち、倒産したらしいな」

 

「夜逃げでもするんやろ」

 

 笑い声。

 

 雄一は、うつむいた。

 

 源太郎の中で、何かが切れた。

 

 胸ぐらをつかみ、

 

 拳を振り上げる。

 

「やめろや、げんちゃん」

 

 雄一の声。

 

「もうええねん」

 

 涙をこらえながら、

 

「ほんまのことやし」

 

 その一言で、拳が止まった。

 

 掴んでいた手を、ゆっくり離す。

 

 気まずい空気。

 

「げんちゃん、ありがと」

 

「おれ……」

 

 それ以上、言葉は出なかった。


 二人は、その後、黙ったまま、

 道を別れた。

 

 翌朝。

 

 雄一の家に行った。

 

「加山」の表札が、外されていた。

 

 門の内側は、静まり返っている。

 

 明るかった家だった。

 

 もう、誰もいない。

 

 夏は、始まったばかりだった。

 

 だが、

 

 源太郎の中で、

 

 何かが終わった。

 

 倒産の意味は、

 

 まだ分からなかった。

 

 けれど、

 

 消えるということは、

 

 はっきりと分かった。

 

 借入は、金の話ではない。

 

 覚悟の話だ。

 

 そして、

 

 放っておけば、

 

 ある日、

 

 家ごと持っていく。

 

 あの終業式の前夜。

 

 転がったボール。

 

 ゆうちゃんの泣き顔。

 

 あそこが、

 

 源太郎にとっての原点であった。


 

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