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連続税務小説 ヤマゲン 第80話 「夏美の旅立ち」

2026/03/21
連続税務小説 ヤマゲン 第80話 「夏美の旅立ち」

 

 あれから、三年が経った。

 

 ある朝。

 

 夏美は、

 国税庁のホームページを開いていた。

 

 税理士試験合格者一覧。

 

 画面を、

 何度もスクロールする。

 

 指先が、

 わずかに震えていた。

 

 ――あった。

 

 自分の番号を見つけた瞬間、

 呼吸が止まった。

 

 しばらく、

 画面を見つめたまま、

 動けなかった。

 

 嬉しい、というより、

 どこか、静かな気持ちだった。

 

 ――ああ、ここまで来たんだ。

 

 それから数日後。

 

 合格証書が届いた。

 

 封筒を開けるとき、

 なぜか、

 少しだけ手が止まった。

 

 中の紙を取り出し、

 ゆっくりと目を通す。

 

 その重みが、

 じわりと胸に落ちてきた。

 

 その報告を、

 最初にしたのは、

 源太郎だった。

 

「ほうか」

 

 それだけだった。

 

 だが、

 その一言の奥に、

 すべてがあった。

 

 夏美は、

 源太郎の姉の娘――

 姪っ子。

 

 姉は、

 夏美が3歳になる前に夫と死別し、

 それからは、

 女手一つで育ててきた。

 

 源太郎は、

 そんな姉と夏美を、

 気にかけていた。

 

 仕事の合間を見つけては、

 よく遊んでやった。

 

 公園。

 ブランコ。

 夏には、

 プールや海水浴。

 

 夏美にとっても、
 あの頃の記憶は、

 断片的にしかないが、

 それでも、

 確かにあった。

 


 

 夏美は、

 これからもこの事務所で働くつもりでいた。

 

 当然のように。

 

 だが。

 

「なっちゃん」

 

 ある日、源太郎が言った。

 

「他人の釜の飯、食うてこい」

 

 夏美は、

 言葉の意味が、

 すぐには分からなかった。

 

「ここでやれることは、

 もう一通りやった」

 

「この先はな、

 もっと違うもん見なあかん」

 

「紹介しといたる」

 

 それは、

 源太郎の友人が代表を務める

 税理士法人だった。

 

 税理士が20名。

 職員は100名を超える。

 

 東京、大阪、名古屋、福岡に拠点を持つ、

 大きな組織。

 

 法人部門、

 個人部門、

 資産税部門。

 

 さらに、

 コンサルティング部門やM&A部門もある。

 

 源太郎の事務所とは、

 まるで規模が違った。

 

「……わたしが、ですか?」

 

「そや」

 

 短い返事だった。

 

「……先生は、寂しくないんですか」

 

 源太郎は、

 少しだけ笑った。

 

「アホか」

 

 そして、

 少しだけ間を置いて言った。

 

「せやけどな」

 

「なっちゃんの将来の方が、

 大事や」

 

 それ以上、

 何も言わなかった。




 ――退職の日。

 

 荷物は、

 それほど多くなかった。

 
 3名の事務所スタッフが、
 花束で祝ってくれた。

 最後に、

 事務所の中を見渡す。

 

 この場所で、

 どれだけの時間を過ごしたのか。

 

 数えようとして、

 やめた。

 

「先生」

 

「いえ、おじさん」


「ん?」

 

「最後に、お願いがあるんだけど」

 


 

 公園だった。

 

 昔、

 よく遊んだ場所。

 

 錆びかけたブランコは、

 あの頃と、

 あまり変わっていなかった。

 

「……乗るんか」

 

「うん」

 

 夏美は、

 少し照れたように笑った。

 

 大人になった体で、

 ブランコに腰を下ろす。

 

「押して」

 

「しゃーないな」

 

 源太郎は、

 後ろに立った。

 

 軽く押す。

 

 ブランコが、

 ゆっくりと揺れる。


「もっと、強く押してみて!」

 今度は、目一杯、背中を押す。

 

 風が、

 頬をなでる。

 

「キャー、楽しい!」

 

 無邪気に、

 夏美が言った。

 

 その声は、

 子どもの頃と、

 変わっていなかった。

 

 しばらくして、

 ブランコが止まる。

 

 夏美は、

 背を向けたまま、言った。

 

「ねえ、おじさん」

 

「ん?」

 

「小さい頃ね」

 

「おじさんが、

 パパやったらいいのにって、

 ずっと思ってた」

 

 源太郎は、

 何も言わなかった。

 

 夏美は、
 ブランコに座ったまま、
 振り返った。

 

「もう一つだけ、お願いしてもいい?」
 

「なんや」

 

「わたしが結婚するとき、
 バージンロード、
 一緒に歩いてくれる?」

 夏美は、
 笑って言った。

 

 けれど、

 目には、涙が浮かんでいた。

 

「……アホか」

 

 源太郎は、

 顔をそらした。

 

「そんなもん……」

 

 少し間があった。

 

「分かった」

 

 短く、

 そう言った。

 

 源太郎の目にも、

 光るものがあった。

 

「じゃあ、行くね」

 

 夏美は、
 ブランコから立ち上がると、

  背筋を伸ばし、

 凛とした表情を見せた。

「先生!」

「ありがとうございました!」

 

「おじさん!」

「ありがとうございました!」

 

 大きな声だった。

 

 そして、

 走り出した。

 

 その背中が、

 少しずつ遠くなる。

 

 風に紛れるように、

 小さな声が、
 こぼれた。

 

「……お父さん、ありがとう」

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