連続税務小説 ヤマゲン 第49話 「見えない利益」
2026/02/18
売掛金台帳を書き終えた翌週。
田中の工場の床に、加工途中の部品が並んでいる。
鉄の匂い。
油の光。
「次は、これや」
ヤマゲンは足元を見た。
「在庫や」
田中は首をかしげる。
「うちは、材料ほとんど無償支給ですし……」
「“ほとんど”やろ」
一拍。
「最近、材料仕入もしとる」
田中は黙る。
棚の上に、鋼材が積まれている。
「ええか、田中さん」
「在庫は、カネや」
「まだ売れてへんカネや」
ヤマゲンは続ける。
「決算のとき、在庫が増えたら利益は増える」
「在庫が減ったら、利益は減る」
田中が眉を寄せる。
「なんでです?」
「簡単や」
ヤマゲンは紙に式を書く。
売上 − 仕入 + 期末在庫 − 期首在庫 = 利益
「仕入は、全部がその年の経費になるわけやない」
「売れた分だけが“原価”になる」
「売れてへん分は、在庫として資産に残る」
「つまり――」
「在庫は、"仕入の取消し"や」
「そやから、
在庫を多く抱えたら、利益は増える」
「少なかったら、利益は減る」
田中は、ゆっくり息を吐く。
「そう言えば、
在庫を減らしなさいって、
よく聞きますね」
「そら、そうや。
在庫が減るということは、
その分、売れてる」
「反対に、
在庫が増えとったら、
仕入代金は払ったのに、
まだ売れてへん訳やから、
その分、
カネがしんどい」
「自社では在庫を持たんと、
下請先に持たせる、
そんな大手メーカーもおったな」
「あぁ、聞いたことがあります」
「あと、"粉飾決算"って聞いたこと、あるやろ?」
在庫の数を増やすんや」
あっ……利益が増えます!」
「それって、
でも、嘘の利益でしょ?」
「そうや、架空の利益や」
「なんで、そんなことするんですか?」
銀行融資も受けにくいし、
大手やったら、
株価にも影響する」
違法じゃないんですか?」
「もちろん、違法や」
「反対に、
税金を減らしたいから、
在庫を数字上だけ、
減らす場合もある……」
「在庫を減らすと……
あ、利益が減る!」
「そうや、そうやって、
脱税しよるんや」
「在庫って、
不正処理というか、
利益の操作ができてしまうんですね……」
「理屈の上ではな」
「せやけど、
キャッシュフロー、
つまり、
カネの流れを追っていけば、
それは、バレる」
脱線したから、
話を元に戻すけど、
とヤマゲンは静かに続けた。
「在庫は、評価方法もある」
「そや」
「先入先出法、総平均法、移動平均法、最終仕入原価法」
法定評価方法の、
最終仕入原価法や」
「?」
「期末直近の仕入れ値に、
数量を掛ける、
それが、原則や」
「せやけど、
細かい理屈は後でええ」
「今は、“正しく数える”ことや」
ヤマゲンは、田中を見た。
「例えばや」
「期末にAという部品が10個あったとする」
「翌月、新たな仕入もないのに15個売れてたら?」
田中は固まる。
「……期末の数が、間違ってる?」
「そうや」
「これを“期末直近仕入調べ”って言う」
「期末近くの仕入と、
翌期の最初くらいの売上とを照合して、
ちゃんと辻褄が合うか」
「税務調査で、よう見られるとこや」
田中の背筋が伸びる。
「あと、もう一つ」
ヤマゲンは工場の隅を指さす。
金属くず。
スクラップ。
「これも在庫や」
「え?」
「期末時点の"重量 × 買取相場"で評価する方法もある」
「でもな」
「一番簡単なんは、
期末日に、
スクラップ業者に買い取ってもらうことや」
「ゼロにしてまう」
「そしたら数えんでええ」
「しかも、
スクラップ代金が入る」
田中は苦笑する。
「確かに……そのほうが楽ですね」
「経営はな」
「正確さと、合理性のバランスや」
ヤマゲンは床の部品を見た。
「在庫は、“見えへん利益”や」
「増えたら嬉しいように見える」
「でも、カネは入ってへん」
「売れて、入金されて、はじめて意味がある」
田中は、工場を見渡す。
材料。
加工途中の仕掛品。
完成品。
スクラップ。
全部、数字になる。
「在庫を甘く見る社長はな」
ヤマゲンの声が少しだけ低くなる。
「利益を勘違いする」
静寂。
換気扇の音。
「売掛金は、信用やったな」
「在庫は――」
一拍。
「自己管理や」
田中は、うなずく。
土台は、現金。
流れは、預金。
信用は、売掛金。
そして――
利益を左右するのは、在庫。
田中は、工場の床に置かれた材料を、改めて見つめた。
それはもう、
ただの鉄の塊ではなかった。